第106回
106AM025|第106回 助産師国家試験 過去問
母子保健統計の年次推移グラフを示す。Aに当てはまるのはどれか。

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正解2
正答
2.人工死産率
この問題のポイント
自然死産率・人工死産率・乳児死亡率・新生児死亡率の長い期間の推移を、線の高さと形から見分ける問題です。まず線を2組に分けます。右端で1〜2まで下がった2本は出生千対の乳児死亡率・新生児死亡率、右端でも10前後ある2本は出産千対の死産率です。死産率の2本は、どちらも丙午の昭和41年(1966年)に跳ね上がっています。そのため区別の決め手は、長い期間の動きとどちらが上にあるかです。昭和60年(1985年)ごろから後、点線より上を通っている太い実線Aが人工死産率です。
解説
グラフには4本の線があります。縦軸は0〜70で単位は「出産千対/出生千対」、横軸は昭和25年(1950年)から2010年代後半までです。矢印Aは、平成12年(2000年)と平成17年(2005年)の目盛りのほぼ中間で太い黒の実線を指しており、その位置の値は約18です。縦軸に2つの単位が並んでいるのは、分母の違う指標を1つのグラフに描いているためです。これが最初の手がかりになります。
各指標の定義と分母は次のとおりです。
- 死産:妊娠満12週以後の死児の出産です(死産の届出に関する規程)。死産率=死産数÷出産数(出生数+死産数)×1,000です。自然死産率と人工死産率も同じ分母を使うので、2つを足すと死産率になります。
- 人工死産:胎児が母体内で生きていることが確実なときに、人工的処置(胎児や付属物への措置、陣痛促進剤の使用)を加えたために死産に至ったものです。人工的処置を加えても、胎児を出生させるのが目的の場合や、胎児がすでに死亡しているか生死不明の場合は自然死産になります。人工死産以外はすべて自然死産です。
- 乳児死亡率・新生児死亡率:生後1年未満、生後4週未満の死亡数を、それぞれ出生数で割って1,000を掛けたものです。
最初に、4本を2組に分けます。破線と灰色の実線は、昭和25年にはそれぞれ約60、約27でした。生活環境・栄養・医療がよくなるにつれて大きく下がり、右端では約2、約1です。新生児死亡は乳児死亡に含まれ、分母も同じ出生数なので、新生児死亡率が乳児死亡率を上回ることはありません。したがって、いつも下にある灰色の実線が新生児死亡率、破線が乳児死亡率です。残る太い実線(A)と点線は、昭和30年代前半にはどちらも40〜50台と高く、右端でも10前後あります。この2本が死産率です。
次に、2本の死産率を見分けます。ここで注意したいのが昭和41年の突出です。この年は丙午(ひのえうま)で、迷信のために出産を避ける人が多く、出生数は前年の約182万人から約136万人に急に減りました(人口動態統計)。グラフではAと点線がそろって跳ね上がっており、破線にも小さな山があります。2本に共通する変化なので、自然か人工かを決める根拠にはなりません。
決め手は、長い期間の動きとどちらが上にあるかです。自然死産は主に母体・胎児・胎盤などの医学的な原因で起こります。そのため、妊婦健診や周産期医療が進歩するにつれて下がっていきます。点線は昭和30年代半ばに約54の山をつくった後、丙午の突出を除けばほぼ下がり続けており、この性質に合います。
一方、人工死産の多くは人工妊娠中絶によるものです。現在、中絶は母体保護法(平成8年に優生保護法から改正)で妊娠満22週未満に限られています。このため人工死産は主に妊娠満12週以降22週未満の中絶で、その増減は法制度や社会の状況、望まない妊娠の多さなど社会的な要因で決まります。Aは、人工妊娠中絶が非常に多かった昭和20年代後半〜30年代前半には点線より上にありました。その後いったん下がりますが、昭和50年代から再び上がり、昭和60年ごろに点線を上回って、それ以降は右端までずっと点線より上です。矢印の位置でも、Aは約18、点線は約13です。医学の進歩だけでは説明できない「いったん下がって、また上がる」動きと、昭和60年ごろ以降に自然死産率を上回ることから、Aは人工死産率と判断できます。
この区別は実践でも大切です。人工妊娠中絶は母体保護法にもとづいて届け出ます(指定医師が翌月10日までに都道府県知事へ)。件数はこの届出をもとに衛生行政報告例で把握されます。そのうち妊娠12週以降のものは死産届(死産後7日以内に市町村長へ)も必要なので、人口動態統計にも人工死産として数えられます。地域の母子保健指標を読むときは、こうした分母と分類の違いを押さえておくことが前提です。また、人工死産の背景にある望まない妊娠を防ぐための受胎調節指導や性教育、妊娠12週以降に中絶を受ける女性への体と心のケアは、助産師が担う大切な役割です。
選択肢の確認
1.自然死産率:図の点線にあたり、昭和25年の約42から上がって昭和30年代半ばに約54の山をつくりました。丙午の昭和41年に一時的に約55まで跳ね上がった後はほぼ下がり続け、右端では約10です。主に医学的な原因による死産を表すので、妊婦健診や周産期医療の進歩とともに下がり続けるのが特徴です。昭和30年代前半から昭和60年ごろまではAより上にありましたが、その後は逆転し、矢印の位置では約13とAの約18を下回ります。そのためAには当てはまりません。昭和40〜50年代に2本の死産の線のうち上側を問われれば、こちらが答えになります。
2.人工死産率:正答。Aの太い黒の実線です。昭和20年代後半〜30年代前半は約50で、点線(選択肢1)より上にありました。昭和40年(1965年)の約34から丙午の昭和41年に約43へ跳ね上がった後、昭和50年ごろの約17まで下がります。その後は再び上がって昭和60年〜平成初めには約24になり、昭和60年ごろに点線を上回ってからは、矢印の位置(約18)を経て右端(約11)まで点線より上を通っています。人工死産の多くは妊娠12週以降22週未満の人工妊娠中絶(いわゆる中期中絶)です。その率は医療の進歩よりも法制度や社会の状況で決まるため、下がってはまた上がる不規則な動きになります。
3.乳児死亡率:図の破線にあたり、昭和25年には約60と4本の中で最も高かったものの、衛生状態・栄養・医療がよくなるにつれて急速に下がり、右端では約2です。右端でも約11あるAとは高さが大きく違い、昭和50年代以降に再び上がる動きもないので、Aには当てはまりません。新生児期の死亡を含む指標なので、灰色の線(選択肢4)よりいつも上にあります。出生千対の2本のうち上側を問われれば、こちらが答えです。地域の衛生状態や社会経済状態を表す代表的な指標で、人口動態統計では乳児死亡の死因の第1位は先天奇形、変形及び染色体異常です。
4.新生児死亡率:図の灰色の実線にあたり、昭和25年の約27からほぼ下がり続け、全期間を通じて4本の中で最も低く、右端では約1と破線(選択肢3)のおよそ半分です。新生児(生後4週未満)の死亡は乳児死亡に含まれ、分母も同じ出生数なので、破線を上回ることはありません。高さも動き方もAとは違うため、当てはまりません。新生児期の死亡は、周産期医療・新生児医療の水準を強く反映します。
覚えるポイント
- 死産は妊娠満12週以後の死児の出産です。死産率・自然死産率・人工死産率は出産(出生+死産)千対で、自然死産率+人工死産率=死産率です。乳児死亡率・新生児死亡率は出生千対です。
- 人工死産は、胎児が母体内で生きていることが確実なときに人工的処置を加えて死産に至ったものです。出生を目的とした処置や、胎児が死亡・生死不明のときの処置による死産は自然死産です。妊娠12週以降の人工妊娠中絶は、死産届(死産後7日以内)が必要です。
- 自然死産率は昭和30年代半ばの山を過ぎてからは、医学的な原因を反映してほぼ下がり続けています。人工死産率は社会的な要因で上がり下がりし、昭和60年(1985年)ごろからグラフの右端まで自然死産率を上回っています。
- 新生児死亡率(生後4週未満)が乳児死亡率(生後1年未満)を超えることはありません。乳児死亡率は昭和25年(1950年)の約60から、2010年代後半には約2まで下がりました(人口動態統計)。
- 周産期死亡率=(妊娠満22週以後の死産数+早期新生児死亡数)÷(出生数+妊娠満22週以後の死産数)×1,000です。早期新生児は生後1週未満です。妊産婦死亡率は出産10万対です。
- 昭和41年(1966年)の丙午は出生数が急に減り、死産率が一時的に跳ね上がった年です。この年の合計特殊出生率1.58を平成元年(1989年)の1.57が下回ったことを「1.57ショック」と呼びます。
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